大人になることのむずかしさ 河合隼雄 【まとめや感想】
第一章 青年期のつまずき
家出した青年 つまずくことの大切さ 善悪の相対化
親子の絆 切断と修復の繰り返し
大人の世界観は安定的 子どもの世界観は急激に変容する
自分の心の中の親のイメージでみている
母なるものには肯定的側面、否定的側面がある。
前者は全てを受け入れる聖母のイメージ、後者は、捉えて話さない山姥のイメージ。
よい子というレッテル。真によい子となるには、どこかで一度その殻を破る必要がある。
自主性が育つには、時に親に反抗して、うまくいったり後悔したりの「練習」をしておく必要がある。
印象に残ったフレーズ
こうなると、親も一方的に押しつけるのではなく、自分の人格をかけて子どもにぶち当たらねばならない。
自主性が育つ環境には、こどもがたまに勝手に「悪いこと」をしてみられる自由なスキマが必要。かといって、これまでずっと管理的なしつけだったから、反省して、では放任を‥、でうまくいくとは限らない。
親の側が自身のジレンマにも向き合いつつ、一対一の人間として対話が創れるようになると、自主性を育てる関係性に向かっていける。
男性は大人になることを獲得するという形をとり、女性は大人になることを受け容れるという形をとる。
試験、就職、恋愛などにおける失敗は、大人になることへのつまずきの中の、大きいものであろう。
まさに。自分は25歳でやっと試験と恋愛の、30歳でやっと就職の失敗の経験をし、つまずき、もがき、変化する、ことにつながった。
つまずきは見かけよりずっと大きな課題をやり抜いている、その過程である。
時に子どものつまずきは、家庭や社会、さらには文化を代表した問題提起になっていることもある。
大人はすぐに問題が起こると解決に向けて悪者探しをしたがる。しかし、その症状が起きている「意味はなんなのか?」と問う姿勢をもつ方がはるかに建設的。
因果関係でみると A-B という直線的な関係しかみえてこないが、意味を探ると多くのものが関連し合う全体、としてみえてくる。
第二章 大人になること
対人恐怖症 日本人は多め 比較文化的な観点
一度は死のうと思い、立ち上がる、という大人へのプロセス イニシエーション
イニシエーションの通過で全くの別人となる。
「成人式の要素」
1 聖所の用意
2 母親からの分離
3 宗教伝承の教授
4 試練
成人式と成女式。 成女のプロセスは自然の摂理の中にあるため、文化儀式としての観察はしにくい。
成女は、表面的に自然な現象を通じてなされるのに対し、成人は見えざる実在者を意識することを通じて起こる。
このことは、現在でも「大人になること」への性差として意識しておくべきこと。
エリアーデによれば、近代社会の特徴は、イニシエーションが消滅したこと。
古代社会においては、原初の時に、この世界は出来上がっている。後から生まれたものは、その完成された社会に「入れてもらう」ことが最も重要になる。
一方で、社会の進歩という概念をもつ現代では、変容する社会の枠組みに対応して、メンバーも変化することが必要になる。社会の変容は持続的に起こるので、かつてのように一回のイニシエーションで「大人」になることはできない。変化の連続する社会では、メンバー内で大人と子どもの境界が曖昧になってしまうのも当然のことといえる。
また、「個性を大切に」する現代では、イニシエーションに相当するイベントや事件も個別的になる。その意味を見逃さず捉えることで、成人の契機となる。しかしまた、一丁上がり!式ではなく、段階的にイニシエーションが起こることが多く、教育者や保護者も持続的に付き合っていく必要がある。
現代では、親の側もドラスティックな変化を引き受ける必要がある。
親殺しや子殺し。突然の死と、長い再生への道。